東山区

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八咫烏と世阿弥

本殿の裏の小高い所にある50m足らずの細い道(=熊野古道)の中に八咫烏の立て札がありました。 八咫烏(やたがらす)は3本足の大きな鳥で日本サッカー協会のシンボルマークとなっています。(咫=あた。親指と人差し指を広げた長さで一咫は18cm。八 […]

新熊野神社…大樟さんのパワー

東福寺を出て、東大路通(すみません西大路通ではありません)を北へ。商店街を通り抜けると西側に新熊野神社(いまくまのじんじゃ)が見えてきます。 創建は1160(永暦元)年に紀州熊野の新宮・別宮として、後白河上皇が平清盛に命じて建立。応仁の乱以 […]

東福寺その3 方丈

400円払って方丈庭園へ。数回は訪問しているのですが、今回、初めて、パンフレットをしっかり?と見ました。 「八相の庭」→「八相成道(はっそうじょうどう お釈迦さまの一生における八つの重要な出来事)」にちなんで命名されました。 八相成道は…。 […]

東福寺その2 東司・禅堂

東司(とうす。便所)です。三門の左手に位置し、室町時代の日本最大最古の禅宗式便所の遺構です。 多くの修行僧が一斉に用をたします(小も大も?)。 東司には不浄を清める烏枢沙摩明王が祀られています。 烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)は 「烈火 […]

東福寺その1 三門・本堂

東福寺一帯は、924(延長2)年、藤原忠平(ふじわらのただひら 880〜949 70歳。兄は菅原道真と対立した藤原時平です)によって建てられた法性寺(ほっしょうじ 現在は近くに小寺院として存続)の広大な伽藍がありました。 その後、幾多の変遷 […]

紅葉前の東福寺界隈その2 道長のお不動さん。

臥雲橋をわたってしばらく歩くと、東福寺塔頭・同聚院(どうじゅいん)です。 1006(寛弘3)年、関白・藤原道長が40歳の祝賀で丈六(1丈は約3m)の五大明王を安置する五大堂を建立しますが、同聚院はその五大堂があった場所とされます。 本尊は不 […]

紅葉前の東福寺界隈その1 あの万寿寺が…。

ご無沙汰してました。ひらがなから漢字に転換できなくなり、あちこちいじって?いたらブログを消してしまい、次女にSOS。修理してくれて昨日届きました。という訳でめでたくブログ再開! 市バス「東福寺」で降りると、下は入り口で2階は鐘楼といった変っ […]

象の杉戸絵ー養源院

三十三間堂の東隣に養源院があります。 1594(文禄3)年、豊臣秀吉の側室・淀殿(1569?〜1615)が父の浅井長政(あざいながまさ 1545〜1573 29歳)の追善の為に秀吉に願い養源院を建立しますが1619(元和5)年焼失。 162 […]

長谷川等伯「楓図」

智積院受け付けの北隣にその建物はあり、国宝の障壁画が目の前に広がります。 上は長谷川等伯作「楓図」、右下は等伯の長男久蔵作「桜図」です。ともに国宝で、豊臣秀吉が3歳で亡くなった愛児(母は淀殿)鶴松の菩提を弔うために建てた祥雲禅寺の障壁画とし […]