二の丸庭園と天守閣
- 2020.06.07
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池の中央は蓬莱島(不老不死の仙人が住むといわれる島)、左右に鶴亀の島を配した庭園だと見終わってからパンフレットで知りました。
それにしても勇壮な庭です。

全国の大名から寄進させた見事な庭石。
特に紀州産の青石は室町時代からの貴重な石です。
1626(寛永3)年の後水尾天皇行幸のために小堀遠州(1579~1647)のもとで改修されたとか。

二の丸庭園は黒書院や行幸御殿、大広間の部屋からも鑑賞できるようになっています。

天守閣をめざして、橋を渡り、

改修中の本丸御殿を右手に見ながら進み、

階段を上がると、

こんな感じです。
思ったより狭いです。
伏見城から移築した五層の天守閣でしたが、1750(寛永3)年に落雷で焼失しました。

東北方向です。

北方向です。
天守閣跡を降りて、左手に進むと本丸御殿です。

本丸御殿は2017(平成27)年から約5年の歳月をかけて保存修理および耐震補強工事がなされています。

本丸御殿の区域は徳川3代将軍・家光(1604〜1651)のときに第108代後水尾天皇(1596~1680 85歳)の行幸を迎えるために家康創建の城を西方に拡張したものです。

1626年に後水尾天皇は和子皇后とともに5日滞在し、行幸御殿では盛大な宴が催されました。
後水尾天皇の皇后は家光の妹・徳川和子(とくがわまさこ 1607~1678 東福門院)であり、第109代明正天皇(めいしょうてんのう 女性天皇 1624~1696)は家光の姪にあたります。
この時の御殿は1788(天明8)年の大火で焼失。
現在の本丸御殿は明治期に旧桂宮家今出川屋敷を1893〜1894(明治26〜27)年に移築した建物です。

本丸御殿から出口に向かう途中、右手に門が見えてきました。
1915(大正4)年、京都御所の紫宸殿において第123代大正天皇(1879~1926 48歳)の即位が行われ、その後の饗宴は二条城で開かれました。
南門はその時、天皇が入城される折に新たに作られた門です。
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