“悪縁を切る”安井金比羅宮にて。

花見小路を下ルと、



「安井金比羅宮(やすいこんぴらぐう)」の鳥居が見えてきました。

古くは飛鳥時代に藤原鎌足が一門の繁栄を祈願し仏殿を建立し、藤を植樹したと伝わります。

第75代崇徳天皇(すとくてんのう 1119~1164)は当地の藤を愛し、天皇が寵愛した阿波内侍(あわのないし)を住まわしたと云われます。



主祭神である崇徳上皇は、1156年の”保元の乱”で同母弟・第77代後白河天皇に敗れ、讃岐に流され、怨念を抱いたまま讃岐で崩御されます。

その崇徳上皇の霊を慰めるために1275~1277年間に、大円法師が建立した「光明院観勝寺」が起源です。



応仁の乱で荒廃。

1695(元禄8)年、太秦安井にあった「蓮華光院」が移築され、

その鎮守として、崇徳上皇に加えて、

讃岐の金刀比羅宮より勧請した大物主神(おおものぬしのかみ)と、

源頼政(みなもとのよりまさ)を祀り、

安井の金比羅さんとして知られるようになりました。



おどろおどろした絵馬が多い中、こんな絵馬を見つけました。

どうか願いが叶いますように!



すでに「アマビエ」さんの絵馬が作られていました。

次回は数々の持病が悪くなりませんようにと絵馬を奉納しなければ…。



崇徳上皇は流罪先の讃岐・金刀比羅宮に籠り、一切の欲や未練を断ち切られたことから、断ち物や縁切りにご利益がある神社として信仰されています。

有名な霊石「縁切り縁結び碑(いし)」です。高さは150cm程です。

貼られているのは願いが書かれた”形代(かたしろ)”です。

願いを書いた形代を持ち、

表からくぐり=縁を切り

裏からもう一度、表に向かって穴をくぐり=良縁を結び

糊をつけた形代を碑に貼り付けて完了です。

24時間参拝可能とありました(社務所は9:00~17:30まで)。

なお、毎年9月第4月曜日に行われる

「櫛まつり」の時代風俗行列はコロナ感染症のために中止となり、神事のみ行われます。



最寄りの屋根付きの”清水道”バス停です。

暑い日でしたので…やれやれです。

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