因幡薬師(平等寺)、そして、鉄輪井へ。

烏丸松原通を上ってすぐの道を東へ入ルと因幡薬師(平等寺)です。



997(長徳3)年、因幡国司・橘行平が任務を終え、帰京の途中に夢のお告げによって、因幡賀留津(いなばかるつ)の海中から一体の薬師如来像を引き上げて仮堂に安置していましたが、お薬師さんは行平のあとを追って京都に飛来したといわれ、1003(長保5)年に行平は自宅にお祀りしました。

※清少納言の夫・橘則光(たちばなののりみつ)は橘行平のお兄さんです。

1171(承安元)年、因幡堂のすぐ南「東五条院」に住んでいた高倉天皇により「平等寺」と命名されました。



度々の火災で寺域も次第に小さくなりました。



重厚な本堂は1868(明治元)年に再建されました。

「因幡お薬師」さんは嵯峨釈迦堂の釈迦如来、信濃善光寺の阿弥陀如来とともに日本三代如来のひとつでことのほか信仰されています。また、がん封じのお寺として、当日も次から次へとお参りに訪れていました。



インコのお守りは「病が飛び去るように」「幸せが飛んでくるように」…だとか。

因幡薬師さんは千年以上、この地にあり続けています。



奥に「鉄輪の井戸(かなわのいど)」があります。堺町通の標識が見つからずにしばらくは行ったり来たり。五条河原町交差点の北側の道を西へ。最初の歩道橋手前(角は事務機のウエダ)の道を上って林亀商店が目印です。

下京に住む女が、自分を捨てて後妻をめとったことを恨み、貴船神社に、丑刻詣(うしのこくまいり)をしてますと、鉄輪を頭にのせ、3本の足に火をともし、怒りの心をかきたてると、鬼になれると、お告げがありました。夫は、それ以来、悪夢に苦しみ、安倍清明に占ってもらうと、今夜、命を失うということです。それで、調伏の祈祷をうけていると、女の鬼が現れ、夫をつれていこうとしますが、三十番神に追われ、苦しみながら去っていきます(鍛冶屋町 敬神会より)。



鉄輪の女が、この鉄輪井のあたりで息が絶えてしまったと伝わり、鉄輪とともに霊を弔いました。

昔は鉄輪の井戸の水を飲ますと相手との縁が切れるといわれ、この井戸の水を汲みにきたとか。

鉄輪の伝説はこの町の南の本塩釜町(もとしおがまちょう)にあったとする六条御息所邸(ろくじょうのみやすどころてい)の生霊や北にある夕顔町など「源氏物語」の影響もあったようです(敬神会より)。

こうして、民家の中に遺されていることが…不思議です。



帰りに東寺の空海さんと善女大龍王さんに、「あと1ヶ月無事に過ごせますように」とお参りして、

いつも気になっていた喫茶店で焼き肉定食(650円?)を食べて帰りました。

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