京都御苑からの帰り道…梅丸大神
- 2020.09.24
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京都御苑内の南西にある閑院宮近くに停めると撤去されるようです(6月11日に撤去の張り紙がありました)。
中立売売店で、お弁当を販売してるのですが11時前だというのにいなり寿司を残して売切れ!
実はまだ弁当が届いてないとの事でした。お土産に和菓子を2つ買いました。中立売御門から出て、烏丸通をはさみ京都ガーデンパレスがあります。
このあたり、平安時代の平安京左京一条三坊九町に該当します。10世紀頃は、第62代村上天皇第7皇子・具平親王(ともひらしんのう 964〜1009)の邸宅がありました。
具平親王の長女・隆姫女王(995〜1087)は関白・藤原頼通と結婚します。
三女・せん子女王(1005〜1081)は頼通の同母弟・藤原教通室となります。
また、長男の源師房(みたもとのもろふさ 1008〜1077)は、村上源氏として院政期に勢力拡大していきます。
12世紀には具平親王の玄孫(やしゃご)・源師時の邸宅⇒土御門第となりました。その後、白河院の権力者・藤原顕隆(ふじわらのあきたか 1072〜1129)が取得。
鳥羽、崇徳、近衛各天皇の御所となりますが、1156年の保元の乱で廃絶します。
鎌倉、室町時代は清浄華院(しょうじょけいん)が建ち、
清浄華院が秀吉により寺町に移転させられた後は、
大名屋敷が建ち並び、やがて、伏見城とともに大名屋敷が伏見に移り、
江戸時代は水戸藩邸が営まれます。
が、1864年の”蛤御門の変”で全焼。
明治時代には所有者が転々と変わり、
平成8年に京都ガーデンパレスの一部となりました。
京都ガーデンパレスから下ルと、菅原家の邸宅があった場所に、「菅原院天満宮神社」があります。神社の境内には、「梅丸大神社(うめまるおおかみのやしろ)」 があり、癌封じ、アトピーなどの皮膚病にご利益があるとされています。いつものように「一族、大病しませんように…。」と絵馬を奉納したあと帰路に就きました。
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