平安京を歩く⑭ 朱雀院、一条院跡

四条中新道下車。

NISSHAの南西隅にひっそりと



建っていました。

“朱雀院”は平安京最大の面積を誇る上皇の御所



源氏物語では一院とあり、一説には桐壺帝の父親とされ、

ここでは、一院の50才の祝典で”紅葉賀”が催されました。

朱雀院跡から”一条院跡”を目指します。

大宮中立売バス停すぐ、”名和児童公園”にあります。



一条院は平安京の北東に隣接した邸宅で第66代一条天皇(980~1011 32才)の里内裏です。

10世紀前半、裕福な受領(国の管理を一任された)・佐伯分行が東三条院(藤原道長の姉・藤原詮子)に献上されました。



東三条院は子の一条天皇の御所として修造。

999年内裏焼失(一条帝の御代には内裏が3度焼失)して以降、

1011年に一条院中殿で崩御されまで里内裏として使用されました。



今は狭い公園ですが、一条天皇の中宮で藤原彰子(道長の長女)に仕えた紫式部が日記に書いている内裏であり、文化サロンでもありました。

いろんな物語が展開された所…とちょっぴり感傷的になりました。

公園奥には、



第96代・北朝初代の後醍醐天皇(1288~1339 52才)を擁護し、足利氏との合戦で1336年6月30日に戦死した名和長年終焉の地とされます(合掌)。

【追伸】

明治28年(1895)から始まった”時代祭”ですが、足利尊氏が天皇に反逆したとの理由で室町時代が省かれていましたが2007年(平成19)に室町時代が加わりました。

つい最近?の話です。

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