えっ!紫式部の墓
- 2024.02.25
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島津製作所の北側に、
小野篁(802~853)と紫式部のお墓?があります。

一説では、”源氏物語”が人の愛憎を描き、人を惑わしたことで紫式部は地獄に落ちたと云われ、地獄で閻魔大王の補佐をしていた小野篁に執り成してもらおうと、

源氏物語の愛好家がすでに建てられていた式部の墓を篁の隣に移した伝承があります😳。

紫式部(生没年不詳)は、970~978年の間に生まれ、1019年までは存命。
1005(1006?)年~1013年頃までは藤式部(とうのしきぶ)の女房名で藤原彰子(藤原道長の長女)に仕えます。
紫式部の墓から大徳寺バス停から南へすぐ、

“雲林院”があります。
源氏物語では光源氏が籠る場面(説明板より)が出てきます。
紫野は狩猟地および行楽地であり、
この地は第53代淳和天皇(じゅんなてんのう 786~840)の離宮・紫野院が、
9世紀終わりに僧正遍照(そうじょうへんじょう)が寺に改め、

現在、鎌倉時代末期に創設された大徳寺の塔頭となっています。
さらに南へ歩いていると、

空き地がありました。いずれ、発掘調査されるのでしょうか??
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