六孫王神社( Rokusonno-jinja Shrine )

観智院をあとに櫛げ(たけかんむりに司)通りを北へ。
この通りは櫛げ小路と呼ばれ、平安京創建時から位置も道幅も変わっていないとの事です。


洛南中・高の校舎
進学校で有名な洛南中学校・高校の校舎です。陸上の男子100メートルで日本人史上初の9秒台となる、9秒98を記録した桐生 祥秀(きりゅう よしひで)選手の出身校です。


贔屓さん
ここにも贔屓さんが重い石を背負ってくれてました。すっかり、お馴染みさんとなりました。
亀に似た贔屓さんの読み方…ひいきではなくひき?


六孫王神社
東寺北総門を西へ行くとすぐ六孫王神社が見えてきます。
「清和源氏発祥の宮」の看板が目につきます。
第56代清和天皇(せいわてんのう。850〜881)の第六皇子貞純親王(873?〜916)の子・源経基(みなもとのつねもと。?〜961?)が祀られています。『六孫王』とは源経基の父が六男で天皇の孫ということで名付けられました。
源経基の嫡男・源満仲(みなもとのみつなか。912?〜997)が邸宅「八条亭」の跡地に霊廟(れいびょう。霊を祀った宮)を建て六の宮と称しました。
清和天皇→貞純親王→源経基→源満仲となります。
源満仲は清和源氏として武士団を形成し、子孫は源頼朝や足利将軍家、守護大名等多くの武士を排出しています。


太鼓橋
太鼓橋です。神竜池にかかる橋は池でコイを飼うことから「恋のかけ橋」とも呼ばれています。この橋を良縁成就を願いながら渡ると叶うとされています。


和歌
太鼓橋を渡ると源経基の和歌と出会いました。
恋こがれる女性を思い詠んだ歌でしょうか?


本殿前の白い馬
本殿の右手前に白い馬の像が置かれてました。
白い馬は神馬=しんめと呼ばれ神さまが人間世界にやってくる際の乗り物で多くは白い馬とされます。
余談ですが上賀茂神社では日、祝祭日等の日に神馬と出会えます。


本殿
ご祭神 六孫王大神(ろくそんのおうおおかみ)→源経基
天照皇大御神(あまてらすすめおおみかみ=あまてらすおおみかみ)
八幡大神(はちまんおおかみ。第15代応神天皇と同一とされる)
ご利益 出世開運・家運隆昌
なお、本殿後方には経基の墓石があるとされます。

境内にはウコンサクラ(咲き始めは薄黄緑色で、咲き終わりはピンク)や八重桜、ソメイヨシノと桜のシーズンは華やぎます。

六孫王神社は応仁の乱などにより経基の墓所だけが残されたとも伝えられ、1700〜1707年間に江戸幕府により社殿再興。
その後、江戸幕府の滅亡とともに衰微。
1911(明治44)年、国鉄東海道本線の用地となり買収され、
昭和30年代にも東海道新幹線の用地として買収され境内は狭くなりました。

社殿より右上を新幹線が通っています。
また、境内には誕生水弁財天社(弘法大師作とされ6/13に公開)があり、満仲が誕生の際に安産を祈願して琵琶湖の竹生島(ちくぶしま)より弁財天を勧請したと伝わります。かつては源満仲の産湯に使われた霊水ですが今は枯渇していました。


スイカ
神竜池の近くに小玉スイカが実ってました。


○一説には源経基の父は清和天皇の皇子貞純親王ではなく、第57代陽成天皇の皇子・元平親王(もとひらしんのう。?〜958)とされる。
○清和天皇には19人の子どもがあり、孫も多く、源氏姓を与えられ臣下の籍に入りました⇒清和源氏
他の天皇の子も源の姓を与えられ、嵯峨源氏、宇多源氏、村上源氏とよばれ二十一の系統があります。


■六孫王神社( Rokusonno-jinja Shrine )

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