東福寺その3 方丈

400円払って方丈庭園へ。数回は訪問しているのですが、今回、初めて、パンフレットをしっかり?と見ました。
「八相の庭」→「八相成道(はっそうじょうどう お釈迦さまの一生における八つの重要な出来事)」にちなんで命名されました。
八相成道は…。
①兜率天(とそつてん。仏教の世界観にある天上界のひとつ)から下る→お釈迦さまは兜率天から降りてきたんですね。
②母マーヤの胎内に宿る託胎(たくさい。釈迦は白象に乗って母の右脇から宿りました。)
③母の右脇から誕生(降誕 こうたん)
④法を求めて家庭生活を離れる(出家)
⑤悟りのために種々の障害を破る(降魔 こうま)
⑥悟りを得ることである成道
⑦鹿野苑(ろくやおん)における最初の説法である転法輪(てんぼうりん 釈迦が説法して人々の迷いを砕くことを、戦車が進んでいって敵を破ることにたとえたもの)
⑧クシナーラーの沙羅双樹のもとで大往生をとげる入涅槃(にゅうねはん お釈迦さまの死)
を表します。
黒い丸で囲んだ場所八ヶ所です。





左側から、えいじゅう・ほうらい・こりょうといった仙人が住む島を巨石で表現しています。



左の岩組は方丈と命名されています。砂紋は海、右の苔は京都五山です(室町幕府による京都禅寺の格付け)。



以上の南庭で6つです。

西庭園の井田市松(せいでんいちまつ )、そして、東庭の北斗七星です。



東庭には天の川を表した生垣が配されていますが、パンフレットに書かれていなければわかりませんでした。
禅僧はひしゃく一杯の水で身や心を清めることからひしゃくをテーマとしています。



八相には入っていない北庭です。苔と市松模様の敷石で構成され、東福寺といえばこの庭が必ず登場するほど有名です。
方丈は1881(明治14)年の火災で焼失しますが、1890(明治23)年再建。
方丈の四周に庭園を巡らせた東福寺独特の庭は1939(昭和14)年、作庭家・重森三玲(1896〜1975 80歳)によって完成されました。
三玲は40歳の時に500ヶ所以上の日本各地の庭園を実測調査し、日本庭園史図鑑を刊行。それが縁で東福寺より作庭を依頼され、その後、200以上の庭をデザインしました。
晩年、「ついに東福寺の庭を超えられなかった」との言葉が残っています。
通天橋と開山堂は別料金で400円払って拝観しますが、またの機会に…。
追伸…。



モシュ印(苔の英語MOSSと御朱印をかけ合わせた造語)のパンフレットが置いてありました。また、方丈内にはコケ寺リウムが3点置かれていました。
いろいろと考えるものです。
いくつかの寺院が集まり、御朱印めぐりもされています。
京都の寺は手入れが行き届いたお寺が多く、その維持や管理だけでも大変だと思います。

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