天龍寺参道にて



天龍寺参道途中、右手に折れると「福禄寿天」が祀られていました。

幸福・封禄(財産)・長寿の三徳を持つ中国の長寿の神さまです。

福禄寿は背が低く、長頭で、長いあご髭、杖に経巻を結び、鶴や亀を伴っているお姿です。



再び参道へ戻り、すぐ、右手に、

「飛雲観音」像が見えてきました。

世界平和と航空安全の観音さまです。

十字架を捧げたお姿で、胎内には般若心経3万巻が奉納されています。



さらに参道を行くと門があり、竹の棒で遮られていたのですが、棒をくぐって中へ入りました。

今回、訪れたかった天皇陵です。



第88代後嵯峨天皇(ごさがてんのう 1220〜1272)陵です。

承久の乱で父・土御門上皇(つちみかどじょうこう 第83代天皇 1195または1196〜1231)が土佐に流されたあと、母方の親族に見を寄せますが元服もままならず、苦しい生活を送られていました。

1242(仁治3)年に第87代四条天皇が急死。

※12歳の四条天皇は近習の人や女房たちを転ばせて楽しもうと自ら廊下に滑石をまいたところ、ご自身が転倒し頭を打ち、崩御されたと云われています。

四条天皇崩御後は、

鎌倉幕府・北条氏の推挙により承久の乱で中立的立場にあった土御門上皇の皇子・邦仁親王が即位されます…第88代後嵯峨天皇です。

その後嵯峨上皇ですが、崩御される時に

同母兄の後深草上皇(1243〜1304)の皇子ではなく、同母弟・亀山天皇の皇子・世仁親王(よひとしんのう のちの後宇多天皇 1267〜1324)を皇太子にして崩御したために天皇家は南北朝に分かれた状態が200年続く事になります。

※承久の乱…1221(承久3)年、後鳥羽上皇(第82代天皇 1180〜1239 高倉天皇の第4皇子)が武家政権を倒し、古代から続く朝廷復権をめざす為に、鎌倉幕府第2代執権北条義時(1163〜1224 北条政子の弟)に対して討伐の兵を挙げて敗れた兵乱。後鳥羽上皇は配流先の隠岐で崩御。



後嵯峨天皇の皇子である第90代亀山天皇(1249〜1305)陵です。

両親からの寵愛をうけ、育ちます。

院政中には2度の元寇襲来があり、多難な時期を乗り越えられました。

1289年、南禅寺で出家し法皇となり、禅宗に帰依しました。

亀山法皇は笛や琵琶等の諸芸に通じ、

また、出家後も様々な女性と関係し、多くの子どもが生まれました。

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