嵯峨野周辺…二尊院
- 2020.01.08
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小倉山の麓、立派な門構えの天台宗山門派「二尊院」です。

本堂までの約100mの間にモミジとサクラの木が交互に植えられています。

本堂前には、藤原忠平(880〜949)の和歌があります。
「小倉山 峯のもみぢ葉 心あらば
いまひとたびの みゆき 待たなむ」
ー小倉山の紅葉よ、お前に心があるなら
いま1度の行幸(ぎょうこう みゆき 天皇が外出すること)があるまで散らずに待っていて欲しいー
小倉百人一首第26番です。忠平は菅原道真を太宰府に追いやった藤原時平の弟にあたります。
忠平は寛大で慈愛深く、道真と親交があったとされます(藤原道長の曽祖父)。

二尊院の開山は第52代嵯峨天皇の勅願により円仁が承和年間(834〜848)に建立したことに始まります。
応仁の乱ですべて焼失しますが、1521(永和18)年に三条西実隆が諸国に寄付を求めて本堂・唐門を再建されたとありました。
本尊は左に阿弥陀如来さまが、右に釈迦如来さまが仲良く並んで安置されています。
鎌倉時代中頃の春日仏師の作と伝わります。

本堂裏手の小高い所には六地蔵さんが祀られていました

角倉了以(1554〜1614)の銅像です。
了以は徳川家康の政策のもと、安南国(ベトナム)との10数年間の貿易で蓄財。
その私財を投じて保津川、大堰川、富士川、天龍川、高瀬川を開削・疎通。
「水軍の父」と呼ばれる偉業を残しました。

4月半ば過ぎから咲く「普賢象桜」。
花の中央から2つの変わり葉が出て、これが普賢菩薩の乗っている白象の牙を思わせることから普賢象桜と呼ばれます。

「源平桃」です。
1本の木に白花と紅花、紅白の絞りの三色を咲かせ、源氏(赤)と平氏(白)が競うことから命名されました。
開花時期は3月中旬〜4月中旬とありました。
できれば、普賢象桜と源平桃が咲く、「4月中旬」頃に訪れてみたいものです。

「小倉餡発祥之地」の石碑が立っています。
むかし、小倉の里に和三郎という職人がおり、空海が中国から持ち帰った小豆を種から育てあげて、御所から下賜された砂糖を加え、煮詰めて餡を作り、毎年、御所に献上したとありました。
この石碑には井筒八ツ橋本舗六代 津田佐兵衛建立とありました。

二尊院を出て、清凉寺方面へ歩き、途中の細い道を入ると定家の「時雨亭」があったとされる候補のひとつ、「厭離庵(おんりあん)」がありますがこの日も非公開でした。
しばらく歩くと、
「中院山荘跡(ちゅういんさんそうあと)」の立て札がありました。
鎌倉時代初め、この辺りに、僧・蓮生の中院山荘がありました。
蓮生は俗名・宇都宮頼綱といい下野国(現在の栃木県)の豪族で鎌倉幕府の有力な御家人の一人でしたが、政争に巻き込まれるのを避けて出家(郎党60余人も出家)。のち、上洛。この地に山荘を営みました。小倉山麓に山荘を構えていた定家とも親交があり、蓮生の娘が定家の子・為家(1198〜1275)に嫁ぎました。
1235年に蓮生は山荘の障子に貼る色紙の執筆を定家に依頼し、定家は色紙1枚々に天智天皇以来の各歌人の和歌を一首ずつ書きます。
小倉百人一首はこの時の選歌に後世、鳥羽・順徳両天皇の作品を加えるなどの補訂を施して完成したといわれます。
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