日本一のお神輿…富岡八幡宮



今日は埼玉県在住の次女と東京見物です(孫たちは婿どのが見てくれます、本当にありがたいです。次女いわく、結婚前から彼の子ども好きを見抜いていたとか)。

大宮駅に成田エクスプレスが止まっていましたが乗客はほとんど乗っていません。



Jr上野駅に到着。都営地下鉄銀座線で上野から2つ目の門前仲町で下車し、しばらく歩くと

「富岡八幡宮」がありました。

菅原道真公の末裔とされる長盛法印が神さまのお告げにより、当時の永代島に祀ったのが始まりとされます。



手水舎には金ピカの鳳凰さまが。



1956(昭和31)に再建された本殿です。

ご祭神は応神天皇、他に八柱の神さまが祀られています。



この日は境内で猿まわしをしてました。



このお神輿をひと目見たくてやってきました。

ガラス越しの「一の宮神輿」です。

あらゆる所にダイヤモンドやルビー、プラチナなどの宝石がちりばめられており、重さ4.5トン。

重すぎて担がれたのは1回のみとか。

1991(平成3)年に佐川急便グループ会長・佐川清により寄贈され、10億円の神輿だといわれています。

富岡八幡宮には1923(大正12)年の関東大震災で焼失するまで、紀伊國屋文左衛門が寄贈した、総金箔の豪華な神輿が三基あったとされます。

富岡八幡宮の夏祭りは、荘厳なお神輿に向かって水をかける様子から「水掛け祭り」とも呼ばれています。



境内には伊能忠敬(1745〜1818)像がありました。

忠敬は50歳を過ぎた、1800〜1816年までの17年間をかけて日本全国を測量し、「大日本沿海輿地(よち)全図」は1821年に完成します。

深川に住んでいた忠敬は測量旅行出発にあたり富岡八幡宮に参拝したと云われます。



大関力士碑です。

古くは五穀豊穣を祈る神事だった相撲。

富岡八幡宮は江戸勧進相撲発祥の地とされています。



「力道山光浩(1924〜1963)」の名が刻まれていました。調べると最高位は関脇となっていたのですが…。

力道山は1950年に突然廃業し、その後、プロレスに転向。

シャープ兄弟との対戦で「空手チョップ」で応戦する姿に日本中が熱狂しました。

力道山は昭和38年12月8日夜、赤坂のナイトクラブで腹部を刺され、12月15日に化膿性腹膜炎で死去しています。



すぐ傍にはたくさんの力士の手形もありました。

本殿右手に横綱力士碑もありますが、またまた見逃してしまいました。

富岡八幡宮といえば、2017(平成29)年の12月7日、第20代宮司と妻が、姉の第21代宮司と運転手を日本刀で切りつけて姉は死亡、弟の第20代宮司は妻を殺害したあとに自害するという事件がありました(運転手は重傷)。

参拝を終え、不慣れな土地にてタクシーで深川江戸資料館に向かいました(800円!)。

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