櫟谷七野神社その1…賀茂斎院跡

今宮神社から

次の目的地までたどり着くのに、随分と迷いました。



京都市内はまだ、南北の方角がわかるのでGoogleマップでなんとか…。



「櫟谷七野神社(いちいだにななのじんじゃ)」です。

昔は櫟(いちい)の木の森が広がっていたのでしょうか?



鳥居左手にある樹齢500年の、

ご神木「クロガネモチの木」です。

“苦労がなく金持ち”になる、

事から縁起の良い木とされます。



境内?の中に駐車場があり、高さ2m弱の石垣の上に本殿が建っていました。



第55代文徳天皇の皇后・明子(あきらけいこ)の安産を願い、奈良の三笠山から”春日の神”を迎え祈願したことに始まります。

その後、明子は第56代天皇となる清和天皇を出産します。

三笠山は武甕槌命(たけみかづちのみこと)が勧請された時に白鹿に乗って降り立った場所です。

本殿右に杭迫柏樹(くいせこはくじゅ 1934~書道家)作「賀茂斎院跡」と書かれた木曾産の安山岩があります。

また、当地は昔、賀茂社に奉仕する皇族の未婚女性が身を清め住まわれた場所でもあります。

810年初代・有智子内親王(うちこないしんのう 807?〜847 嵯峨天皇皇女 )から始まり、

1212年に35代・礼子内親王(れいし/いやこないしんのう 1200~1273 後鳥羽天皇第3皇女)が1212年に病で退くまで400年余続きます。

が、承久の乱後の混乱と財政難のため途絶します。

斎院は150m四方にわたり、500人の宮人や女官が仕え、しばしば歌合わせも催されました。

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