京都御苑…和宮様の生家
- 2020.09.12
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※橋本家…藤原北家閑院(藤原道長の叔父・藤原公季を家祖とする)流、西園寺分家。
父は彼女が誕生する半年前に崩御。
母の実家で養育されます。
6歳で11歳年上の有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみやたるひとしんのう 1835~1895)と婚約。
しかし、1853年の黒船来航をきっかけに求心力を失った幕府は立場を強くするため、
和宮と14代将軍・徳川家茂(いえもち 1846~1866)との結婚が進められます。
和宮は強く拒否しますが、朝廷としても外敵から国を守るためにも幕府の力は必要だとあらゆる手を尽くして和宮を説得します。
1861(文久元年)年10月20日、16歳の和宮は中山道を総勢3万、50kmにもおよぶ行列を率いて、江戸に向かいました。
家茂とは同い年で誕生日も2週間余りしか違わず、夫婦仲はよかったとされます。
しかし、
1865年8/10 母死去
1866年7/20 夫・徳川家茂、大阪城で薨 去(21歳)
同年12/25 異母兄の121代孝明天皇崩御(37歳)
と悲しみは続きます。
幕府崩壊後、明治2年には父・仁孝天皇陵へ参拝するために上洛。
明治7年には再び東京に戻り、もと八戸藩藩主・南部信順の屋敷(現在の港区六本木)に居住。
晩年はお脚気を患い、療養先の箱根塔ノ沢温泉にて死去(32歳)。
彼女は今、希望した夫・家茂のそば(港区の増上寺)に埋葬されています。
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