🐁嵯峨清凉寺…光源氏のモデル・阿弥陀さま
- 2020.11.25
- 未分類
民家ですがなんとも雅な雰囲気…です。
清凉寺西門を入り右手には、毎年4月に行われる”嵯峨大念佛狂言”の舞台があります。
西門左手には、
平安時代の官僚・小野篁(おののたかむら 802~853)は冥界(あの世)を行き来して閻魔さんの裁きを手伝ったとされ、
あの世に行く時は、六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ 東山区)の井戸から入り、この井戸から出てきたと云われます。
境内の東側には、第52代嵯峨天皇の皇子・源融(みなもとのとおる 822~895)が父から賜った山荘「棲霞観(せいかかん)」がありました。
融没後、子息により御堂が建立されましが、その御堂が、今の阿弥陀堂とされます。
この日、「霊宝館」秋の特別公開が行われていました。
“霊宝館”入り口近くの紅葉です。
(パンフレットより)
1m先には、国宝・阿弥陀三尊像がありました。
ばあば、独り占めです!
熱いものが込み上げてきた瞬間でした😭。
阿弥陀さまの左脇侍には、ばあばの守り本尊・勢至菩薩さんが迎えてくれました。
阿弥陀さまは光源氏=源融がモデル(諸説あり)とされ、端正な顔たちでした。
霊宝館、本堂の共通券700円で思わぬ感動!
本堂には、東大寺の僧・奝然(ちょうねん)が中国で模刻したという、37歳のお釈迦さまの姿・釈迦如来立像(国宝)が安置されています。
昭和28年にはお釈迦さまの体内から、絹で作られた五臓六腑が発見されました。
(パンフレットより)
奝然が模刻した時、5人の中国尼僧により、如来像体内に施入されました。
本堂北側には、
素敵な庭が広がっていました。
途中、雨がきつくなってきましたが、
堂内にいたのでなんとか難を免れました(さっき、勢至菩薩さんに祈ったおかげかな🤗)。
境内南西には源融公の墓がありましたが、棲霞寺を開山した恒寂法親王(こうじゃくほっしんのう 825~884)の墓との説もあります。
(11月20日参拝)
-
前の記事
🐁2020紅葉…悲願の厭離菴訪問 2020.11.24
-
次の記事
🐁2020紅葉…嵯峨野番外編 2020.11.26