🐁嵯峨清凉寺…光源氏のモデル・阿弥陀さま

寄りたくなり、清凉時まで足を延ばしました



民家ですがなんとも雅な雰囲気…です。



清凉寺西門を入り右手には、毎年4月に行われる”嵯峨大念佛狂言”の舞台があります。

西門左手には、



平安時代の官僚・小野篁(おののたかむら 802~853)は冥界(あの世)を行き来して閻魔さんの裁きを手伝ったとされ、

あの世に行く時は、六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ 東山区)の井戸から入り、この井戸から出てきたと云われます。



境内の東側には、第52代嵯峨天皇の皇子・源融(みなもとのとおる 822~895)が父から賜った山荘「棲霞観(せいかかん)」がありました。

融没後、子息により御堂が建立されましが、その御堂が、今の阿弥陀堂とされます。



この日、「霊宝館」秋の特別公開が行われていました。



“霊宝館”入り口近くの紅葉です。



(パンフレットより)

1m先には、国宝・阿弥陀三尊像がありました。

ばあば、独り占めです!

熱いものが込み上げてきた瞬間でした😭。

阿弥陀さまの左脇侍には、ばあばの守り本尊・勢至菩薩さんが迎えてくれました。

阿弥陀さまは光源氏=源融がモデル(諸説あり)とされ、端正な顔たちでした。

霊宝館、本堂の共通券700円で思わぬ感動!



本堂には、東大寺の僧・奝然(ちょうねん)が中国で模刻したという、37歳のお釈迦さまの姿・釈迦如来立像(国宝)が安置されています。

昭和28年にはお釈迦さまの体内から、絹で作られた五臓六腑が発見されました。



(パンフレットより)

奝然が模刻した時、5人の中国尼僧により、如来像体内に施入されました。

本堂北側には、



素敵な庭が広がっていました。



途中、雨がきつくなってきましたが、



堂内にいたのでなんとか難を免れました(さっき、勢至菩薩さんに祈ったおかげかな🤗)。



境内南西には源融公の墓がありましたが、棲霞寺を開山した恒寂法親王(こうじゃくほっしんのう 825~884)の墓との説もあります。

(11月20日参拝)

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