清盛の娘・建礼門院が出家した寺…長楽寺
- 2021.11.13
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壇ノ浦の戦いで破れた平徳子は入水し助けられますが、
高倉天皇との一人息子・第81代安徳天皇(1178〜1185)はお亡くなりになりました。
1185年のことです。
徳子(建礼門院)29歳。この寺で剃髪します。
上の写真は安徳天皇が着ていたという直衣(平常服)で徳子が縫ったと伝わる貴重な幡です。
また、右側の布袋さまは三国(インド、中国、日本)の土で作られたとか。
昔の長楽寺は広大な寺域を有していましたが、
東大谷祖廟建設や明治初年に境内の大半が円山公園に編入されました。
石段を上り、500 円払って境内へ。
長楽寺は最澄によって開かれますが、長い年月を経て、天台宗→浄土宗→時宗と変遷していきます。
本尊は天皇即位の時のみ開帳される准胝観音さんです。
最澄が渡海された折、海が荒れ難破しようとした時、
「南無観世音菩薩」と称えられたところ2頭の龍にまたがる観音さまが最澄の懐に飛び込み波が静まったとされ、2頭の龍の舞う台座に乗る観音さまを最澄自ら彫ったと伝わります。
伝相阿弥作とされる庭園です。
イノシシが出てくるのでは?とヒヤヒヤしながら山道を登ると、
徳川昭訓(1849〜1864 16歳)のお墓がひっそりと建っていました。昭訓は第15代将軍・徳川慶喜の異母弟であり、年少ながら兄・徳川慶篤に従い将来を嘱望されますが16歳で病没(合掌)。
帰り道、山門より市内が見渡せました。
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