竹の径へ

9:00過ぎに我が家を出発。




JR向日町駅近くの”まちてらすMUKO”で竹の径(みち)までの道順を尋ねていたところ、買い物に来ていた年輩のご婦人に、




「一緒に行きましょうか。」と声をかけられて案内して頂くことに。








途中、桓武天皇皇后・藤原乙牟漏(760〜790)の御陵に立ち寄りました。




伏見にある桓武天皇の御陵とは離れた場所にあり、確か、早良親王の祟り?で亡くなられた皇后さまだったと記憶しています。




※早良親王(さわらしんのう 750?〜785)…第50代桓武天皇の実弟。785年に藤原種継が長岡京造営監督中に矢で射られ翌日死去する事件が起きました。




種継暗殺に関与した罪により親王は淡路島に配流となりますが、無実を訴えて食を絶ち、配流途中で死去。




親王の死後、皇太子の発病、乙牟漏ほか、后の藤原旅子(759〜788)、坂上又子(?〜790)の相次ぐ死や疫病の流行、洪水といった天変地異が起こりました。




御陵から坂道を登ると、








竹の径入口にたどり着きました。




竹の径は向日市特産の「孟宗竹」を使った竹垣の散歩道です。








竹の緑がなんとも清々しく、竹垣の変化も楽しんでいると、








「寺戸大塚古墳」に出会いました。




古墳時代前期(4世紀前半)の全長98mの前方後円墳で、








三角縁神獣鏡が出土しています。




さらに進むと「物集女車塚古墳」にたどり着きました。








こちらは古墳時代後期(6世紀中頃)の前方後円墳で、








埋葬者は6世紀前半に弟国宮を作った継体大王(けいたいおおきみ 450?〜531? 第26代天皇)と縁が深い人物と考えられるとか。








親切なご婦人と別れを惜しみつつ帰路に着きました。




残念ながら緊急事態宣言発令中のために「竹林公園」が閉まっていました。




次回にチャレンジ…です。

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