朱雀大路の末路
- 2020.07.07
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堀川五条下ル、右手、京都東急ホテル南へすぐ、「佐女牛井之跡」です。
平安時代に源頼義(988~1075 88歳!河内源氏2代目。源頼朝、足利尊氏の祖先)の六条堀川邸内にあった井戸と伝わります。
千利休らに好んで使われますが、荒廃と再興を繰り返し、空襲に備えた堀川通の拡張工事で完全に消滅します。
佐女牛井之跡から、

五条千本通へ。
千本通は平安時代の「朱雀大路(すざくおおじ)」にあたります。
当時、平安京の中心的大路で幅84m、南北4㎞に及んだとされます。

しかし、都が東へ移っていくにつれ、

かつての大路は耕作地や牛の放牧地になっていきました。

七条新千本通付近です。
「朱雀裏畑町」
その名残りが地名に残っていました。
【追伸】
7/23は海の日、24はスポーツの日と連休が続いているので疑問に思っていたのですが、
東京オリンピックの開会式が7/23だったんですね(~8/8まで)。
ばあばはすっかり忘れてました😆。