紅葉の真如堂
- 2021.11.26
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真如堂(正式名称・真正極楽寺)は984年に比叡山の僧・戒算上人が比叡山常行堂(じょうぎょうどう)の阿弥陀如来を藤原詮子(962〜1002 藤原道長の姉・円融天皇の皇后であり、第66代一条天皇の母)の離宮に安置したのを始まりとする天台宗の寺です。

紅葉越しにみる1817年再建の高さ30mの三重塔。

本堂には女性を救う「うなずきの弥陀」こと阿弥陀如来立像が祀られています。

円仁が一刀三礼し彫刻を完成させますがその直前に”比叡山の修行者の本尊となり給え”と言い白毫(びゃくごう 仏さまの眉間にある長さ5m弱の巻毛で光を放つ)を入れようとすると、阿弥陀仏は首を三度横に振り拒否。
そこで円仁は”京の都に下って一切衆生をお救い下さい、中でも女人等を救い給え”と発すると三度頷かれたと云われます。

本殿右手の菩提樹はお釈迦様が35歳の時に菩提樹の樹の下で悟りを開いた木とされますが、熱帯であるインドの菩提樹は中国や日本では育たないので種類が違うとか。

本堂左手には80歳のお釈迦様が沙羅の樹の下で北の方向を向き亡くなられたとされます。沙羅の木も菩提樹と同様にインドとは違う木の種類です。

三重塔の斜め向いには、1694年に真如堂で行われた信濃・善光寺の出張御開帳(善光寺本堂再建の資金集め)法要に参列した時の様子を向井去来が詠じています。
そして、本堂左手前には日本で初めて上映された「本能寺合戦」が真如堂で撮影されたことにより建立されました。

“映画誕生の碑”から左後ろに進むと、

元三大師および長寿不動のお堂があり、最強の組み合わせに思わず合掌。

堂内までは訪れる人が少ないですが”涅槃の庭”や”随縁の庭”は必見の価値があります(要拝観料)
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