平安京を歩く⑪ この世をば・・・。

砂利の京都御苑内。



その清和院御門手前(寺町通側)に、

“土御門第跡(つちみかどていあと)”があります。



ここに藤原道長(966~1028 63才)の邸宅跡があり、道長の

長女・藤原彰子(上東門院 988~1074 87才😳)が、

第68代 後一条天皇(1008~1036 29才)

第69代 後朱雀天皇(1009~1045 37才)

を出産(彰子は2人の子どもに先立たれています😢)。

道長の長女・彰子、次女・妍子、三女・威子がいずれも天皇に入内。

威子立后の日、藤原実資(大河ドラマではロバート秋山さんが演じてます)に向って、

「この世をば わが世とぞ思う 望月の 欠けたることも なしと思えば」

と詠みました(実資の日記に記述されていたので後世に残りました)。

道長は1019年出家。

晩年は法成寺造営に精力を傾けます。

その法成寺の石碑が荒神口通寺町東入北側、



京都府立鴨沂高校グラウンド南側に建っています。



壮麗無比な諸堂が建っていましたが、火災や地震で崩壊と再建を繰り返し、14世紀前半に消滅します。

ただ、法成寺跡の遺構は見つかっていないとか?(緑釉瓦などは出現)

道長は糖尿病?を患い、死ぬ数日前から背中の腫れ物に苦しみ、

死期を悟った時、

僧侶たちの度胸の中、九体の阿弥陀如来の前で往生したと伝わります。

宇治市木幡の「宇治陵」に埋葬されますが、道長の墓は不明となっています(こんなに影響を与えた偉人なのに…)。

鴨沂高校の構内には立派な門が建っていました。

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